3月10日にNHKで放送された「Live!Love!Sing!」。
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「その街のこども」「あまちゃん」の制作チームが手掛けたドラマ。
なんかすごそうだ、と楽しみにしつつも、観るのが怖くもあった。
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登場人物が、交わるようで交わらない、そのバラバラな感じ。
善意や正義感が凶器になってしまう瞬間。
一筋縄ではいかない、それぞれの感情。
正しい一つの答えなんて、どこにもないということ。
ある日を境に突然現実が非現実になり、
日常が非日常になる不条理。
映像にも音楽にもすごい力があった。
主人公の夢ー祭りのシーン
亡くなった人も、生き延びた人も一緒になって踊る。
「放射能はないつもり
爆発なんてないつもり
強い絆があるつもり
だから心配ないつもり
地震も津波もないつもり
日本はひとつであるつもり
それで安心なつもり
地球はつもりで回ってる
みんなつもりで歩いてく
そういうつもりで眺めてみれば
僕らはみんな生きている」
なかったことにしないと生きていけない気持ち
なかったことにすることへの痛烈な批判、疑問符
でも人間ってそんなに立派じゃないし
生きてくって、あんがいそういうもんで。
鎮魂の歌でもあり、風刺の歌でもあり、人生賛歌、希望の歌でもある。
震災後に毎年福島で踊っている「ええじゃないか音頭」に通じるものを感じた。
お祭りという、境目のない、ごったまぜの世界。
でも、実は、僕らはみんな、
そんなわけわからん世界に生きている。
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このドラマが全国に届いたのは、すごいことだと思う。
震災後、感じたもやもやが、あちこちに散りばめられていて、
当時のいろんなことを思い出した。
「福島を繰り返すな、忘れるな」
「子どもだけでも避難させた方がいい。」
「当事者が声を上げないと変わらない。なぜ福島の人たちは、もっと怒らないのか。」
「心をひとつに」「絆を大切に」
あちこちで、震災と原発の被害を受けた人たちに、心を寄せる声が上がった。
勇気づけられたり、気づかされることもたくさんあった。
でも、福島という言葉が独り歩きをしてしまう現実に戸惑う自分がいた。
忘れなきゃ生きていけない人もいて
被害者だけど加害者でもあった、と混乱している人もいる。
福島に「残ってる」と言われることに傷ついていたり、
移住しても、大事な人たちが「危険だ」と離れた場所に住み続けていて、
新たな土地で再出発なんて想いには、なれなかったり。
私の姉家族は、福島から岡山に移住したけれど、つい最近までデモに参加することはなかったし、
政府や東電を表立って批判したり、賠償請求をしたりもしなかった。
自給自足を目指して、地道に育ててきた生活。
「奪われた」といえば、その通りだと思う。
でも、彼らなりの哲学があって志した道で、想いがあったからなおさら、
その生活をお金に換算することは、
二重三重に、自らを否定すること、されることでもあったのだと思う。
今までは自分たちの暮らし方が大好きで、誇りもあった。
世の中を少しずつ良い方向に変えられるかもという、ほのかな希望も抱いていた。
でも、結局、こんなことが起きてしまった。
これまでと同じように新天地で農地を耕しても、それは自己満足なんじゃないか。
これからどうやって生きていけばいいんだろう。
月日が流れても、時折どうしようもない無力感が襲ってきて、
なかなか前向きにはなれなかったと義兄は言っていた。
そして、私自身、こんなに近しい肉親の気持ちすら、十分に汲み取れてはいなかった。
それ自体は、そんなに悪いことではないというか、
そういう余白みたいなものに、お互いが救われているとも思うのだけれど。
ただ、これもあくまでも1つの現実のほんの一部でー
3.11が近づく度に、福島に関するドキュメントが放送される。
その映像はどれも貴重だけれど、繰り返し描かれる「福島像」に、
福島だけの問題じゃないのにな、とジレンマを感じることも多い。
「悲惨」なだけが福島じゃないし、福島=原発=放射能でもない。
姉たちも含めて、みんながみんな毎日悲しんでいるわけでもなくて、
それぞれの日々の生活があり、それぞれの幸せがあり、不幸がある。
震災前も震災後も、それは同じことで。
露出した問題も、震災前から存在していたことでもあり、
どこかで断絶してるのではなく、ずっと続いている。
形にすると、境界線ができてしまう感じ。
福島、という二文字も、二元論に吸収されやすくて、
言葉にした途端、違うものになってしまう。
だから、姉たちのことを誰かに話すときも、なんだかもやもやする。
「復興」、「被災地」、「被災者」という言葉も、実際にその土地に行って、
色んな人に会えば会うほど、しっくりこないというか、
あまり使う気になれないのも、そういうことなのかしら
・・・そんなこんなで、いろんな想いがどーっと押し寄せて、
ドラマを観た後は、妙な感じだったなあ。
どこか怒っていたような気もする。
突き放したかったのかな。
感動したり、カタルシスにはしたくないって歯止めが効いたのかな。
今もなお続いている多様な現実をフィクションで描くこと。
制作に関わった人たちは、きっとそれが持ち得る暴力性に葛藤し、
悩みながら作ったはずで、だからこそ、混沌を混沌のまま描こうとしたのだろう。
大人でも子どもでもない高校生を主役にしたのも。
あの喜怒哀楽が突発的に出てくる感じ、
泣いてたと思ってたら笑ってる感じとか、
存在自体が尖ってて、でも、どこか希望を体現していて、
大人が主人公だったら、あの空気感は出せなかったんじゃないか。
それでも、こないだの短いバージョンでは、伝わってくるものが断片的すぎた気がして
「劇的」な要素だけが浮かび上がりすぎてしまう、というジレンマを随所に感じた。
冒頭で、主人公が「神戸みたいにちゃらくない」と叫ぶ場面、
あの言葉じゃないといけなかったのかな・・。
あえて選んだとしたら、何を投げかけているんだろう。
酪農家さんのシーンにざわざわしたのは、
あまりにたくさんのドキュメントなどで、
ある種「福島の悲劇」の象徴になってしまっていて、
抵抗を覚えたからかもしれない。
先生役の彼氏がいきなり母親との確執を吐露する場面や
海辺で旦那さんを失った未亡人が泣き叫ぶシーンも、
前後の繋がりが抜け落ちているような唐突感があった。
2つとも、主人公が「ちゃらい」と言ってしまった神戸の震災が、
形としては「復興」していても現在進行形であったり、
同じ福島の震災を体験している彼女にさえ、善意の言葉ですくいとれないものがある、
ということに気づく重要なシーンだと思うけれども。
タイムカプセルを開いて、過去の空気を解放する場面。
「つもり」を希望に変えようとする瞬間には響くものがあって。
それでも、あの一日を体験した主人公が、
「しあわせ運べるように」を歌えるようになるには、
あそこに着地させて、そこにリアリティを持たせるには、
もっとたくさんの階段が必要な気がした。
生きていくには希望が必要で、
ドラマの力も、そういうところにあったりもして。
でも、そうだとしたら、なんか戸惑ったまま、少しだけ希望を匂わすような、
そんな曖昧な表情で終わるぐらいが、今の私には丁度良かったのかも。
なんだかんだ、まだ近すぎるってことなんだろうな。
う~ん。ずいぶん自分にとらわれている気がする。面倒くさい。
神戸の震災から15年後を描いた「その街のこども」は、とても心に響いた。
ふとした瞬間に、どうしようもなく観たくなる、そんな作品だ。
震災当時は子どもだった男女が、偶然15年後の式典の前日に神戸で出逢い、
夜明けまで共に神戸の街を歩く物語。
淡々としていて、ほとんど何も起こらないのだけれど、
ふたりの心の動きがゆっくりで、ぼんやりしていて。
どこか「当事者」じゃなくても入り込める隙間、余白があった。
ただ、自分にとって、やはり距離があって、年月も経ったから、
そう感じることができたのかな・・
自身の立ち位置に向き合わされたというか、足元がぐらぐら揺れた。
たぶんこれからもそうで、そうありたいとも思う。
きっと、多くの人が、それぞれの揺れを感じたはずで、
それが、このドラマの真髄なのかもしれない。
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3月24日
追記。
さっき、ふと目に留まったある文章を読んだ。
<5回目の3.11によせて 思っていたこと>→
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とても、とても近くに感じた。
誰が書いたんだろう・・と思ったら、南相馬出身の友人であった。
このタイミングで出逢えるなんて、なんだか不思議。
うれしかった。
震災を忘れることはないと思う。
でも、その「震災観」に囚われること自体が、
ある意味「風化」であり、思考停止に繋がっていたりもする。
私も私なりに、その瞬間瞬間に世界、他者とのあいだに生まれるもの、
生まれ続けるものを感じて、良い加減に生きていければと思う。