<陶器市、そして器で被災地支援>

陶器市、足を運んでくれた皆様、ありがとうございます!!
ありがとう、では全然足りないです!!どう表したら良いのか・・。
今回の陶器市開催は、益子町にとっても窯業関係者にとっても、一種の賭けだったと思う。
益子や笠間で自身が被災し、窯や器が壊れてしまった人達、
更に家族や親戚が東北で被災し、実家を失くした人達も沢山参加していた。
それぞれの想いの中で制作され、焼かれた器。
多分、器を作ることで救われ、元気づけられていた私みたいな人もいるはず。
立ち止まってしまうと、心の中に渦巻いているものに負けそうになる。
やることがある、やれることがある、そのことに背中を押されていた。
でも、お客さん、来てくれるのかな? そのことを皆、心配していた。
が、しかし! 蓋を開けたら陶器市、大盛況!!
ピーク時には行きも帰りも大渋滞。平日でさえお客さんがい~っぱい。
常連さん、友達、仲間達、そして、新たなお客さんも沢山来てくれた。
お釣りはいらないから、今後も頑張ってと声をかけて下さったり、
(お断りしたら、支援金に回してほしいと言って下さったので、有難くそうさせて頂きました)
知り合いにカフェを経営している方がいるので、そこで個展をしないかと、
話を持ちかけて下さったり・・。どんなに勇気を頂いたか。
また、驚いたことに、常連さんの素敵なご夫婦が姉が移住する群馬県の同じ地域在住だったり、
新たなお客様もその地域からいらしていたりで、姉の話をしたら、寄って下さい!とのこと。
はい!迷わずそうさせて頂きます。心強い!
そして、器を通して被災地を支援する動き活発化。
ひょうたんのランプなどを制作している光房みちの吉田弘道君と、
代表メンバー、矢川士郎君らが立ち上げた「手づくり支援プロジェクト」。
被災地の仮設住宅へ栃木の手づくりの食器を直接届けるという長期支援ネットワーク。
とにかく二人の情熱、気持ちが素晴らしくて、賛同者が続々と増えている。
この活動の詳しい内容は、
<手づくり支援プロジェクト>
(Click!)
活動のための支援金も募集中なので、
賛同して下さる方は是非是非、ほんの少しでも協力して貰えたら有難いです。
そして、この活動の存在を周りの方達にも広めて頂ければ幸いです。
被災地支援に関しては、色んな形があると思う。
支援する側にもそれぞれの生活や守らなければならないものがある。
やはり無理せずに出来るだけ長く続ける方法を探る必要があるなあと感じていて、
私にとっては、器を通しての支援が一番の方法だという結論に至ったので、
このプロジェクトに仲間達と参加できるのは、嬉しいことです。
震災で、3月に予定されていた企画展が流れてしまった陶ISMでも、
7月には仙台でチャリティ企画展なども計画されていて、
被災地に無償で器を送るという案も出ている。
こちらの運営メンバーの行動力にも脱帽です。
メンバーの多くは被災しているというのに、
震災後すぐに益子町で窯業関係者の支援ネットワークを発足させ、
窯の貸し借りなどの支援体制を整えたり、話し合いの場を作ったり・・。
是非是非応援して下さい。
<陶ISM>
(Click!)
写真は、陶器市期間中、一緒にテントを出しているお仲間のダンディーな陶芸家、
能登実登利さんから頂いたカード。
能登さんの娘さん家族もいわきで被災し、能登さん、心労で痩せてしまった。
今回の陶器市、福島からの姉家族が初めて遊びに来たのだけれど、
(これまでは農作業の忙しい時期と重なるので、来れなかった)
姉家族にもとてもよくして下さって。
裏には、こんな言葉が。
読んだら、涙があふれた。
能登さんにも、心からありがとう。
********
よるのやみに ほろぶしろ
あさのひかりに よみがえるしろ
大地のぬくもり 空の青
花のはじらい 平和を願うこころ
すべて つつみこんだ つよいしろ
かなしみのいろ あこがれのいろ
白い闇に 白く輝く
白い器を

<益子にて展示・NHKの番組告知>

先日私の益子の家族でもあり、焼き物の師匠でもある鈴木秀男さん、
そして奥さんの紀子さんに会いに行ってきた。
震災後の電話で、窯が2つとも全壊したとは聞いていたけれど、
本当に跡形もなく、ただのレンガの山になり果てていた。(写真上)
更に驚いたのは、家も相当のダメージを受けていたこと・・。
土台になっていた大谷石が動いて、壁のあちこちに亀裂が入り、
隙間があいてしまっていた。
居間の壁は特に酷くて、大きな余震があったら崩れてしまうだろう。
建て直す生活の余裕などあるはずもなく、
大工さんに酷いところを修理して貰い、だましだまし住むとのこと。
そんな中でも、淡々と窯作りに励む秀男氏。(写真中央)
現在半分完成したところ。(写真下)
人の想いにとても敏感で、人間好き。
そして、大の庭好き、自然好き。
とても厳しく、とてつもなく優しい。
何事にも動じない人のように見えるけれど、達観してるわけではない。
今回の震災でも色んなことを感じたはずだ。
でも、そういうことは、あまり口にしない。
彼の美学ゆえ、だと思う。
焼き物だけでなく、人生の師でもあります。
窯作りの手伝いに行ったつもりが、久々に会ったものだから、
話ばっかりしてしまったあ・・。次回は黙々と作業しますぞ!!
とにかく窯が無事完成し、窯焚きが成功することを祈る。
余震、お願いだから来ないで!
益子町も笠間も陶器市には沢山のお客さんが来て下さったけれど、
全壊した窯を前にし、町の今後を考えると不安に襲われる。
出来ることを一つずつやっていこうと想う。
さて、今月は益子のもえぎさんの企画展に出展します。
もえぎさんも頑張ってるなあ。
出展依頼をして下さったスタッフさんが、
「余震に気をつけて下さいね。器はあるだけで良いですから」と、
気遣って下さった。
お店も大変な時期。作り手も頑張らねば。
<もえぎ COOL展>
● 日時:5月28日(土)から6月9日(木)まで
● 場所:もえぎ城内坂店 1F フォーシーズンギャラリー
  
  栃木県芳賀郡益子町城内坂150
  TEL:0285-72-6003  
  もえぎホームページ: (Click!)
そして、翻訳に携わったNHKの宇宙関連番組も告知します。
今回は火星探査車、スピリット&オポチュニティの冒険物語です。
色んな試練に見舞われても諦めず、
限界の限界まで挑むNASAの探査チームの素晴らしさ。
翻訳と格闘していた時期が遠い昔のような錯覚に陥るけれど、
今だからこそ余計に、あの生き生きしたメンバーの表情が見たい。
お暇な方は是非ご覧くだされ!!!
<火星探査車 7年の冒険 ~スピリットとオポチュニティ-~>
● 日時:5月17日(火)午後9時~(BSプレミアム)
● 内容:2004年、NASAが2機の探査機を火星に送り込んだ。「スピリット」と「オポチュニティー」と名付けられた双子の探査車は、90日間という当初の予定を大幅に超え、7年間に渡って数々の困難を乗り越え、水、そして生命の痕跡を追い求めてきた。火星探査最前線に挑み続けた2機の探査車の苦難と発見の7年間の冒険物語。
番組ホームページ: (Click!)

<いわきでボランティア・情報+α>

木曜日から、いわきの有紀ちゃん宅に泊まりつつ、ボランティアをしている。
初日はお昼前に到着し、お昼から夕方まで日本ユニバの倉庫にて、物資の仕分け、整理、
避難所の方々や被災者の方々の対応などをした。
ボランティア保険には出る前に笠間で入ってきたけれど、こちらでもすぐに入れた。
ユニバの倉庫のスタッフ、皆気さくで楽しい人たち。
一度登録して顔見知りになると、地元のボランティア・県外問わず、
ぷらっとやってきて活動をしている感じ。
ただし、私の印象では、倉庫はそこまで人不足という感じではなかった。
曜日にも拠るので、事前に問い合わせていくのが良いかもしれません。
日本ユニバ: (Click!)
二日目は、9時にいわき市社会福祉協議会の中にある、いわき市災害救援ボランティアセンターへ。
(Click!)
まず受付開始→ボランティアのオリエンテーション(5分ほど)→
ボランティアのマッチング(依頼主からの仕事の割り振り)→
敷地内で必要な資材のレンタルをして現地へ→現場で作業開始→
16時にセンターに戻り資材を返却→報告書作成→解散の流れ。
組織の運営がかなりしっかりしていて、気配りが行き届いているという印象だった。
私に割り当てられた仕事は、沿岸部の半倒壊したお米屋さんの二階の整理・掃除。
大阪出身で現在いわき在住の女性二人と有紀ちゃん、私の4人で現地へ。
お米屋さんは目の前が海で、周りの家もほとんどが倒壊している。
全壊ではなくとも、一階がぶち抜けてしまっている家ばかり。
このお宅も2階への鉄筋の階段が途中までしかなく、ぐらぐらしたまま。
2階は足の踏み場もなく、ものが散乱していた。
少しずつ片付けて、ものを仕分けして、ダンボールに詰めたり、
使うものを棚にしまったりして、落ち着いたところで掃除をした。
黙々と作業に没頭して、3分の2ぐらいがどうにか終わった。
休憩時に旦那さんが「地元の方ですか?」と話しかけてくれた。
ご家族は皆無事だったそうだけれど、お客さんの半分を失い、
「3人の子ども、高齢の親を抱えての生活を考えると、頑張らなきゃと思うのだけれど、
時折本当に不安になってしまってね。 躁鬱になりそうですよ~!」と冗談のように笑っていた。
作業を終えた後、海岸沿いを走ってセンターに戻った。
被害の大きかった薄磯海岸、豊間海岸、久ノ浜海岸・・
映像でしか見たことのなかった景色が目の前にあった。 2ヶ月経ったというのに、
まだこの状態なのだと有紀ちゃん。 平日だったこともあって、
ボランティアもチラホラ見かける程度で、ぜんぜん足りていないという印象だった。
瓦礫撤去、泥かきなど、肉体労働もあるけれど、避難所で子どもと遊ぶ、
室内で散乱した衣類をたたむ、部屋のお掃除などなど、本当にいろんな作業があって、
肉体労働は無理かもという人でも、 適材適所、何かしらやれることがあるなあと感じた。
この日の夜、すごいサプライズが。
幼馴染のマイミクの「いち」、隔週で精力的に東北の被災地を回っているのだけれど、
偶然いわきにいることが判明!
お仲間と3人でユニバで物資輸送ボランティアをしていたそうで、夕飯で合流!!!
超久々に会ってハグハグ。お仲間の2人が、方々で大活躍のベーシストさん&
松岡修三ばり?のテニスプレーヤーだとのことで、被災地での活動についてだけでなく、
生活、仕事の話から音楽、 はたまた西と東でアフリカ人の体の構造は違う!!といった
マニアックな話まで、ちゃんこ鍋囲みながら皆でわいわい盛り上がった。
彼女の行動力、知的好奇心には本当に刺激を受けるし、
お仲間の二人もとても魅力的な人たちだった。
自分が知らないことが沢山ある、ということに、感動する。出会いに感謝。
うれしくなって写真撮影。
ちなみに日中情報収集をしていたら、こんなサイトが。
今度宮城の山元町に行く予定なのだけれど、
(山元町は、7割が壊滅的という甚大な被害にもかかわらず、
小さな町でボランティアがあまり集まっていない。詳しくは、また後日の日記で。)
ここ、ボランティアの人たちに格安で温泉宿を提供し、
宿からボランティアセンターまでへの送迎もしている。
宮城に行きたくても、テント泊や車泊は心配という方、是非以下のサイトを見てみて下さい。
ふらっとーほく: (Click!)
あと、被災地の復興を応援するため、東京から石巻までの新幹線の料金が、
往復1万円になったと、 いちから聞いた。
これで日帰りで行こう!と思う人も増えるかもとのこと。すばらしい。
ボランティアも長期戦。
気力だけでは続けられないと思う。
自分なりのやり方、ペースで、息抜きもしつつ・・続けたい。

<いわきでボランティア②>

先程福島から無事帰宅しました。
今日のいわきは快晴の活動日和で、8時半過ぎにボランティアセンターへ。
すると、わお~!既に150人から200人のボランティアの方達が列をなしていた。
週末は全国各地から集まるんだね!!凄いね!と二人で顔を見合わせてニッコリ。
今回は被害の大きかった久ノ浜の電気屋さんへ派遣された。
作業は、津波にのまれた商品、工具等の錆び・砂落とし・洗浄。
久ノ浜では、地震、津波だけでなく、津波直後に火災が発生。
水道は勿論ストップしたため、消防車の余震の合間をぬっての消火活動に頼るしかなく、
多くの家屋が全焼した。更に、原発から40キロという距離による風評被害に悩まされ、
震災後の物資不足、 人手不足によって、孤立化していた地域だ。
一帯は、ほとんどが瓦礫の山。骨組みだけの残骸。
その中に奇跡的に津波と火災を生き延びたIさんの電気屋さんがぽつんと立っていた。
何故この建物だけがこんなに綺麗に残されたのか・・本当に驚いた。
電気屋さんを経営されていたIさんご夫婦は60代のとても魅力的なお二人。
とにかく笑顔が本当に暖かい。
威勢の良い大らかそうな奥さん。
そして、多分その奥さんの尻に引かれている、とことん優しそうな旦那様!
挨拶もそこそこに、旦那さんの工具の赤錆び落としに取りかかる。
道具フェチな私にとって、とても奥深い作業だった。
錆びをごしごし磨いて落として、見えてくる道具の美しさ。使い手の心。
気持ちが洗われる。
見なれたペンチやドライバーだけでなく、謎の道具も沢山。
アンティークの木箱みたいな、何とも味のある砂まみれの箱を開けてみると、
これ、一体何だろう!?
想像力をかきたてられるミニチュアの工具が綺麗に並べられていて、
皆、小さすぎて磨きにくいけど、すごくカッコイイ!
何だか妙に懐かしいような、昭和の香りがするのだ。
とうとう、こらえきれなくて、「あの~。これ何に使うんですか?」と聞くと、
旦那さん「俺もよく分かんねえんだよなあ・・」「え。ええ~!?」
・・・というのも、磨いたものの半分は、旦那さんの普段の工具ではなく、
先代の店主、電気だけでなく時計も扱っていたお父さんの形見だとのこと。
お父さんは時計を作る職人さんでもあったそうだ。納得!!
「道具は、使いものにならないかもと思っても、捨てられなくてねえ。
流されちゃったのもあるんだけど、見つかったのだけでも錆び落としして、
オイル塗れば使えると思うし、親父の形見の道具も綺麗に残しておきたいんだわ」と旦那さん。
作業の合間に震災後の話をしてくださった。
この近辺では過去に大きな地震があっても、津波の被害はないに等しく、
毎回、ご近所さんと「ほんじゃ、測ってみっか~」と浜辺に出て、
津波を定規で測りに行く程度だったそう。
だから、今回も津波警報が出ても避難するつもりはなかった。
けれど、丁度消防隊員の方が呼びかけに来たので、避難すっか~と、
家族に声をかけ、高台へ。飼っていた犬は、津波は来ないだろうからと繋いだままだった。
第二波が引いた後に自宅に戻ってみると、お店は床上まで浸水はしたが無事、
お店の裏側にあった家はかなりやられたけど、2階は難を逃れていた。
そして、2階に上がってみると、何と!飼い犬が座って待っていた。
首輪が奇跡的に取れて、自力で2階に上がり、津波に流されずに済んでいたという。
しかし、その後Iさんの自宅に火の手が迫り、自宅は家族の目の前で全焼。
「火事でもう駄目だ・・と思った時、何を持って逃げたと思う?」と聞かれて、
「う~ん・・・アルバムとか・・かなあ?」と応えると、
旦那さん、にま~っと笑って「テ・レ・ビ!!」
地デジに備えて大型の液晶テレビを買ったばかりだったのだという。
「息子には、後で散々恨み事言われてねえ・・・」
「それ、多分一生言われ続けるでしょうね・・」と皆で笑った。
午後になって旦那さんは、ご近所に頼まれた仕事があるからと挨拶をしに来てくれた。
工具の錆び落としがほとんど終わり、それを眺めて、本当に嬉しそうな表情。
私も、とても嬉しくなった。
仕事終わりの前に奥さんが来てくれて、ひとしきり話をした。
今後商売を続けるのは難しいし、お店はもう閉めるつもりだそう。
「あの人はね、時間が出来ると工具を磨いていて、もうそれ見たら、私ムカついちゃって、
全部瓦礫の方にぶん投げちゃったこともあったの!でもねえ、やりたいんだろうねえ。
近所は皆焼けたり流されたりしたのに、このお店だけ残って、
それだけでもすごく恵まれていると思うんだ。だから頑張らなくちゃって思う。
震災後、避難所から仮設住宅に移ったんだけど、仮設住宅に入る方が気持ちが滅入ったの。
滅入って血圧が急激にあがっちゃって、ここに戻って、お店の2階に寝泊まりするようになってね。
こんな瓦礫の山の中でも、やっぱり安心するし、落ち着くのよ。
被災地以外ではあまり伝わっていないと思うけれど、皆そうだと思う。
ただ、今までの場所、普段の生活に戻りたいだけなんだよね。」
我々が車に乗り込むと、「来てくれてありがとう。気をつけて帰るんだよ~」と、
何度も大きく手を振って送り出してくれた。
また会いに来たい。
センターに戻ると、午前中のマッチングで話をした富山出身のおばちゃんに声をかけられた。
今日は物資の仕分けをしたとのこと。
彼女、多分50代ぐらいかな。一人で富山から車でやってきたのだ。
富山弁のすんごく楽しくて飾らない元気印のおばちゃんで、
「あたしね、お勉強させて貰おうと思って、今回来させて貰ったの!」という。
富山では災害が少なくて、災害時にどんなことが起きるか、どう対応するべきか、
災害後何が出来るのか、そういうことを知りたくて、少しでも現地を見て、
周りに広めたいと思ってとのこと。凄いおばちゃんだなあ・・と感心していると、
「でもね、それだけじゃなくて、実は富山では姑の介護をしているんだけどね、
少しいなくなってやって、旦那にどれだけ私がいないと大変か、思い知らせてやろうと思って。」
有紀ちゃんと思わず吹き出してしまった。
パワフルおばちゃんに握手で送りだされて有紀ちゃん宅へ帰宅。
その後、湯本温泉で今回初の温泉入浴。
ここでも東京やつくばから来たおじ様、お兄さんと知り合い、情報交換。
それぞれ一人でぷらっと来たそうだ。
これからもどこかで会える予感。
福島は姉や友達との繋がりもあって、身近な土地ではあったけれど、
こうして被災した人達だけでなく、全国各地の人達と出会う中で、更に愛しい土地になった。
多分被災地へボランティアに行った皆が感じることなんじゃないかなと思う。
出会うことで、被災地が、「被災地」ではなく、体温のある生身の存在になる。
その土地の名前を聞けば、沢山の人達の表情が浮かぶ。
ボランティアに行く、というよりも、皆に会って一緒に時間を過ごしたいという気持ちになる。
沢山の元気を貰った。
明日からは本業。がんばっぺ~

<高速が無料になる車両証明書>

追記!!お役立ち情報。
現地のボランティアセンターに、要請されて現地に入るという証明書を出して貰えば、
地元の市役所の防災安全課や災害担当の部署などで、高速料金が無料になる
「災害派遣等従事車両証明書」を発行して貰えます。
とにかく移動に一番お金がかかるので、これ、ほんとお勧めです!!
ボランティアに関する情報は、いわきでのボランティアの詳細、
2回に分けて詳しく綴りましたので、参考に読んで頂ければ幸いです。