『演劇1』『演劇2』ー想田和弘監督作品

『演劇1』『演劇2』一日がかりで観てきた!
2時間52分&2時間50分の合計5時間42分。サイトはコチラ⇒http://engeki12.com/directors_note.html
元来じっとしているのが苦手な自分にとって、
学生のとき二本立て映画を観て、後悔した時以来の珍体験。
(この時は、一本観ただけでお腹が一杯になりすぎてしまい、
二本観る余裕がないまま観続けたので、せっかくの映画が損なわれてしまった気がした。)
ホントは1と2、別の日に観に行こうと思っていたのだけれど、勢いで全部観て、
監督と平田オリザさんのトークまで聴いてしまった!!
そして何だかぐわんぐわんの放心状態で帰宅。最近多いな、放心状態。。
はじめに『情熱のピアニズム』の予告が流れ暗転。会場はひっそりと静まり返った。
そしてゆっくりと本編の映像が流れ始める。音はない。
カメラは稽古場に向かうオリザさんを追う。そして無音のまま稽古が始まる。と、再び暗転。
会場は緊迫した空気に包まれた・・。
「これは!?」とおののいていたら、何と!しばらくして「機材のトラブルが発生した」とのアナウンスが。
そして、謝罪の放送の後、再び本編が音と共に流れ始めた。
しかし無音の映像と音のある映像では、こんなにも受ける印象が違うなんて。
予期せぬハプニングに初っ端から圧倒される。奇跡のはじまり・・。
恐らくこれはあってはならないミスだろうけど、偶然とは思えない伏線があるんだな・・。
隣の見知らぬおじさん(恐らく過去の監督の作品も観ている方)と思わず、
「演出かと思った!」と顔を見合わせて笑ってしまった。
こういう瞬間も映画館で映画を観ることの醍醐味。
でも見終わった後の興奮は、この比ではなかった。
昨夜は夢の中でもずっと思考が続いていた。
「台本は仮説に過ぎない。そこに真実があってそれを再現させようとすると、つまらなくなる」
というオリザさんの言葉。想田監督の観察映画に通じるものを感じた。
役者のそれぞれの役割。セリフ、一つ一つの動き、光、そこに配置されている物たち・・
途方もなく無数の関係性が織り成す、生モノの瞬間。
それは私たちの日常そのもの。それをどう捉え、関わり、伝えていくか。
観る前から、すごく沢山のヒントをもらえそうな予感がしていた。
監督の中に、被写体、この世界と出逢うこと、変わることへの圧倒的な愛情というか、
渇望みたいなものがなければ、この映画は生まれなかったんじゃないかと感じた。
その真摯な姿勢、決意みたいなものが、全編に流れていたように思う。
私にとって「アート」とは、世界を変えてくれるもの。
ものの見え方を根底から揺るがされて、分からなくしてくれるもの。
自分に欠けている新しい言葉を教えてくれるもの。
『演劇』はそんな作品だった。
芸術と文化の存在価値、社会、政治、教育現場との関わり。
アートが対峙せざるを得ない「お金」の問題。
時間が経てば経つほど色んな疑問が湧いてくるし、
捉えきれないものがあちこちに広がっていて、頭の中が支離滅裂になる。
監督はここで何を感じていたのだろう?何を観ていたんだろう?
平田さんの行動、言葉は何を意味しているのか。。
消化するまでに相当時間がかかりそうだけど、じっくりゆっくり味わいたい。
映像の持つ圧倒的な力、映像でしか表現できないものを体現してる映画は、
実はそんなに多くはないのでは、と思う。
音もナレーションも演出も大切だけど、それが説明的、
かつ誘導的であればあるほど、映像の力が逆に損なわれることが多い気がする。
昔から、一番惹かれるのは、始まりも終わりもないような、
「ん?あれ?あ、終わったのか・・」みたいな映画なんだけど、
『演劇』は静かでありながら、劇的なドキュメンタリーだった。
やっぱり映像って凄いなと思ったなあ。
そして演劇も・・・。人も・・・。
あと、これは職業病なのかもしれないけれど、
物作りをする上での共通の課題や、
一部を変えると全体が瞬時に変わるといったプロセスについても考えさせられた。
更に最近よくツイッターをしていても、翻訳の勉強になるなと感じることが多く、
『演劇』を観て、平田オリザさんのセリフに強烈なパンチを食らった。
すごかった。言葉の勉強になる・・・。これからいろんな舞台も観てみたい。
そういう意味でも、新たな世界が開けそうな予感がする。